たからさがし
忘れないうちに書こう書こうとずっと思いつつ、1週間が経ってしまった。これ以上先延ばしにするとほんとにタイミング逃しちゃうから、課題とかいろいろあるんだけど無理やり終わらせることにした。とか思ってたら石井ゆかりさんがナイスタイミングでこんなこと言ってるのを見つけたのでついでに載せとく。
獅子座 2012/11/12-11/18の空模様。
自分の生活や、自分の身近にいる人のことは 「ありふれたこと」と感じられます。 でも、他人の生活や居場所をちょっとのぞくとき その人達自身にとっては「ありふれたこと」が、 いかにも新鮮に、時には奇異に感じられます。 今週、貴方はそんなふうに 自分にとっての「あたりまえ」を 何らかの形で、とてもフレッシュなものとして認識するのかもしれません。 訪ねてきた友達とか、できたばかりの恋人とかが 「あなたはこういうところがあるよね」 と指摘してくれたとき初めて、 自分にとっての「当たり前」が実はとんがった意味を持っていることに 気づかされる事もあると思います。 貴方の「当たり前」だった世界に 新風が入り込むようなタイミングです。
フットワークが軽いこと、思い立ったらすぐ行動に移すこと、いろんなことに興味をもてること、1度始めたものは最後まで続けること、ノートの隅っこにすぐ落書きすること。
自分にとっての「あたりまえ」は他人にとってもそうとは必ずしも限らなくて、いやむしろ、そういうことこそが実は自分の強みだったりとか、大事にすべきことなんだなぁ、と最近よく思う。自分ではそんな大したことだなんて思っちゃいないけど、それに対してすごいとか言われると、なんていうか、正直こっちがびっくりする。そして素直に嬉しい。
こないだ、「天職ってあると思う?」って話になった。私は、あると思う。天職。だけどそれは、あくまでも他人からの評価であって、自分で自分の仕事に「天職だ!」とラベルを貼るのはなんだか違う気がする。もちろん、抜きん出て才能ある人は実際いるし、天職宣言を全否定するわけじゃないんだけど、その人がそう思い込んでいるだけで、もしかしたら他にぴったりな職業がある可能性だってある。その人よりももっともっと才能ある人だっているかもしれない。「天職」「才能」「その人らしさ」ってのは、自分じゃなくて他人から言われて初めて気付けることなんじゃないかな、というのが私の出した結論。自分自身のことって全然客観視できないんだよ、って水野学さんも今日言ってた。
でも別に、天職に就けることがゴールではなくて、天職だがなんだが知らないけどわたしゃこれが好きなんだよ!ってことが見つかるといいな。傍から見たらその人にとっては不向きなように見えたとしても、本人が楽しいって言ってんだからそれでいいじゃないか!…つまりこれも天職なのか?あれ、天職って何?どんなにしんどいことがあっても、楽しいから、好きだから、やっぱりやめられないなんて話よく耳にするけど、それも天職?うーんよくわからん。
というわけで、調べてみた。
天職:
・天から授かった職業。また、その人の天性に最も合った職業。a mision
・その人の性質、能力にふさわしい職業。
・神様がその人にくださったと思われるほど、その人にとって最適の仕事
などなど。ちなみに類語である単語については、「適職・適業:その人に合った職業。a fit occupation」と書いてあった。つまり自ら天職宣言するのも間違ってはいないらしい。「医者を天職だと思って励む」など、ある職業を天職だと言う例文もあった。
となるとあれだね、自分でそういうものが見つけられてる人、天職宣言できる人の方がしあわせだよね。たとえそれが思い込みであったとしても、自力でのめり込めるほどのものを見つけられたら最幸。でもそうは言っても、自分じゃ掘っても掘ってもなかなかお宝の在りかには気付けないので、どなたか宝探ししてください。あ、もしやこれがいわゆるタコブンセキ?そう思えば他己分析も端っから毛嫌いしたり身構えなくてもいいね。「宝探し?楽しそうー」くらいのテンションでまいりたいと思います。