はて、風呂。

そしたら私も、旅にでかけよう。 

あ、これが噂のターニングポイント?

25歳。まだ若いんだからこれから何でもできるよと言う人もいれば、高橋歩さんのように25歳でオレは自伝出してるねって人もいて。ゆずは5万人のお客さんを東京ドームに呼んでる。

25歳だ、と最近ふと思うことがよくある。きりのよい、節目の数字だからだろうか。ハタチだ、以来のこの感じはなんだろ。100歳を目指しているわけではないけども、100をゴールとした場合は4分の1、クオーターにあたる数字。まぁ80をゴールとしたとしても、まだやっと道のりの30%ちょい。まだまだ先は長いなぁって今まではのんきに思っていたけど、なんも変わらないまま、もう3割過ぎ去ってきてしまったんか、と最近は思うことの方が多い。

どんどん時間の感覚って短くなっていくんでしょ。だとしたら、もう人生の半分過ぎたくらいの気持ちでいても大げさじゃないんじゃないかなぁ。と思うと、ちょっと焦る。さすがに半分はないか。けど、なんもしてない、そろそろなんかしなくちゃ、なんかできるんじゃないか、って。焦りというか武者震いみたいなものなのかな。力試し、運試ししてみたい。怖いもの知らずに、開き直って、アホなふりして。だめだったらだめでいい、それも含めて、やってみなきゃわからないし。最終的にはなんとかなるさって、いつも心のどこかでハクナマタタ歌ってる。

自分のやりたいこと、アイデア、そういうものをただぼんやり頭で考えてるだけじゃなく、行動に移せる、カタチにする、そのチャンスがこんなに早くめぐってくるなんて思ってもみなかった。というのが本音かも。まーとりあえず働いてー、って、なんとなくは考えててたけど、詰めは甘かったし、ちょっと油断してた。あぶないあぶない。結局やったもん勝ちなんだな、って気付けたことが吉で、じゃあやらない理由なんてないじゃないかって。そう思えるようになったから、ちょっとペースアップして自分追い込みすぎてる気もしなくはないけど、生き急いでるつもりはまったくなく、目の前にチャンス転がってるなら拾うまでであって。のんびり構えてる場合じゃない。おかげさまで丈夫に育てていただきましたので、ただ、体力は落ちてるからそろそろそこはちゃんと現実見つつ、なんなら鍛えなおした方がいいのかもしれない。そんな暇はないか。じゃあせめてもう少し、自分の体を労わるように心がける、とか。食べるもの着るもの履くものに気をくばる、とか。

なんでもできる気がする、結局は自分次第で。ぜんぶ。大人ってたのしいな。もう少しお酒もたのしめるようになれたらいいんだけどな。今まで特に、子どもだ大人だってどうこう考えたことはなかったけど、最近よくそう思うのは、たのしそうにしてる大人がまわりにいるおかげだろうな。まー、年齢とか性別とか相応の振る舞い?なんてものは気にせずに、自分のままでいたらいいよな、って。開き直りのパワーって強いよね。なんだろね。

 

憧れの人に会えた話はまた今度ゆっくりと。