気仙沼まとめ。
なんやかんやとばたばたしておりましたが、やっとまとめ書けます。ふう
(実は遊び場協会さんから感想文メールしてほしいって言われてたんだけどね!
もう帰って来てから20日経ってるごめんなさい…!)
ノートに書き留めてなかったら忘れちゃってたことばかり。
仕方のないことかもしれないけど、でも、忘れずにいたいものです。
・かんぺ~はすごい。ぶんちゃもすごい。子どもと一緒に楽しんでる。
同じ目線で、一緒になってわいわいして。
子どもが楽しそうにしてると自分も楽しくなってくる。それってなかなかできないことだよ。
・大人はよく「それだめ」「そっちじゃない」とか否定的な頭ごなしな言葉を言いがちだけど、
かんぺ~は「おれはこうされたらちょっと怖い。だからそれはやめてくんねぇ?」って言う。
何でそれがいけないのか、自分の気持ちを伝える。
そういう大人がまわりにいれば、子どもも相手の気持ちを考えられるようになるよね。
・シャンティのみなさんはみんなやさしい。
・子どもと遊ぶって大変。遊ぶ、ってエネルギーの要ること。
初対面の人を棒でつついたり、雪玉投げたりするのは、どんな奴なのか子どもなりに試してる行動。
その挑戦には真っ向から受けて立つべし。容赦なくやり返してやるべし。
子どもと遊びに来たんだ、めんどくさがってどうすんの!
・東京はくさい。臭い。らしい。
帰りの夜行バスを降りると、本吉では雪があったような道端には代わりにゴミ袋が転がっていて、早速この街が嫌になった。
でもこの街の「臭い」が分からない私は、かんぺ~さんに比べたらまだまだだ。
・「さんまが水揚げされました!復興ですね」、じゃない。
何ができるようになったから復興、という基準はない。
気仙沼は水産加工業も盛ん。
・東海地震、東京を襲う地震、起こったらどうすんの。
東北の人たちはそれをちゃんと考えてる。知り合いにもしもの時は連絡して、と既に行動に移してる。
それなのに、肝心の都心住人はどうだろ。
自分も含め、あの震災から何か学んで行動に移してるだろうか。
・気仙沼の映像ちゃんと見よう。
・シャンティ武田さんの絵本、すてきだったなぁ。完成したらぜひ見たい。
・津波のスケールなんて想像することしかできないけど、でも駅までの薄暗い街灯しかない夜道を歩けてよかった。
少しは、怖さが分かった気がする。勝手にそんな気になってるだけかもしれないけど。
あんな夜道、街灯もなく、がれきだらけで、もし家族とも会えてなかったとしたら。
心細くて心配で怖くてたまんないよ。
とまぁ、ここまではノートの走り書き。
今回気仙沼に行ってよかった、と思ったのは、また行きたい場所、見たい景色、会いたい人ができたから。
あそびーばー、お魚市場、ホテルの温泉、復幸マルシェのうどん屋さん、防災庁舎、大谷海岸駅、シャンティの事務所、唐桑の高台、流されてきたタンカー、本吉の役所、2階に船が乗ってる病院、雪で覆われた家の跡地、岩井崎、幼稚園、給食くれる小学校の教頭先生、近くのファミマのお姉さん、カフェVANGUARDのオーナー、シャンティのみなさん、唐桑で活動してるみなさん、気仙沼のザビエルさん、あそびーばーに来てたみんな、地主さん、もふもふうさちゃん、かんぺ~、ぶんちゃ。
東京に帰ってきてから20日経った。
気仙沼で思ったこと、感じたことは既に記憶の彼方へ消えていきそうになってる。
でも、一度できたつながりはそう簡単には消えたりしないと思ってる。
ふとした時に気仙沼へ想いを馳せることはある。
それは被災地の復興をテレビで見たときだけじゃなくて、
天気予報を聞いたときとか、食べ損ねたわかめを見たときとか、
あそびーばーで着てたスキーウェアと持ってったバックパックを片付けたときとか、
雪を見たときとか、子どもと遊びたいときとか、工作してるときとか。
そういう人がもっと増えて、みんなが少しずつでいいから東北のことを想うことが増えれば、
もっと日本はあったかい場所になる気がする。
行ったこともない、知り合いもいない、東北とのつながりが何もないとどうしても他人事だと思ってしまう。
それはもう仕方のないこと、当たり前なことだと思う。
それなら自らつながりをつくってみる。
実際にボランティアに行くことだけがすべてじゃなくて、
募金する、支援物資を送る、HPをチェックする、リプライしてみる、応援コメントを送る、とか、何でもいいと思う。
物の支援だけが支援じゃない。むしろそれ以外のことの方がこれからもっと必要になってくる。
実際に行った私だからこそできたことは、
こうしてひっそりとではあるけどブログに書いて友達に発信すること、
部活の皆に話をして募金を集めること。
これから遊び場づくり協会さんへ感想文も送る。
それがHPに掲載されたらそれもシェアする。
また行きます、気仙沼。